食べるために生きるのか
生きるために食べるのか
人はみな
生きたいようにしか生きられない
それがどうしてなのか
自分のことすら解らないから苦しむのだろう
自身を知るということは
未知な自身の構造式を解明するようなもの
よく解らない自分の事は棚に上げて
さらにもっと解らないであろう他人の事を論ずることは
客観など持ち得ない自身の主観で、無責任に言葉にするということ
無責任だと批判したところで
無責任な自身のことしか知り得ないし、
無責任な自身のことすら解り得ない
どう感じるか
それがすべて
自分が感じるようにしか考えられないし見ることはできない
だからこそ
自分が生きたいようにしか
自分は生きていけない
今この瞬間の自身の姿が
在るべき自身の姿
変わりたいと願うのは
自分が変われないことを知ってるからで
真に願うのなら、もうとっくにそうしているはずである
ペドロが私に言った
「いつか、なんて無いんだよ 在るのは今だけだ」